書評 山水会資料(平成30年5月)

タイトル: 「日本史の内幕」 磯田 道史 著
投稿者:  蘆屋の暇爺(松下 鎮)さん


 日本史の内幕を知りたいなら、古文書を読むしかない。教科書には読者に信じてほしい歴史像が書かれているに過ぎないからだ。歴史的事件を見聞した同時代人の書き残した古文書(一次資料)はいはば、現場に遺された遺留品だ。そこに記された生活感のある細部の記述から歴史の内幕を探ろう。 
         中公新書、2017年10月初版

 著者は、少年時代に、戊申戦争に参加した先祖の事績を知りたくなり、祖父母の家の押し入れから、高祖父の書き残した「御奉公之品書上」という古文書をみつけ、解読に取り組むうちに、その面白さにひきこまれて、歴史研究の径に踏み込んだそうだ。慣れるにつれて、古文書が自由に読めるようになり、どんどん集めて解読していくうちに自然と戊申戦争の実像が見えてきたそうだ。勿論、書いてあること、すべてが真実ではない。しかし、真実でないことがかかれている場合、何故そのような虚偽が書かれたかの背景を探ることで歴史の姿がはっきりと見えてくることがある。古文書には、 生活感のある細部が雄弁に書かれている。 以前に「武士の家計簿」の実験で分かったが、細部に拘ると、戦国とは何だったのか、維新はどんなものだったのか、といった歴史観に関わる大きな問いかけの答えに近づけると著者は、歴史研究における古文書解読の重要性を強調している。
 第1章は「徳川埋蔵金」と小栗上野介との資料が紹介されている。当時の人々が彼をどのような人物とみていたのか生々しい記述が残されている。また、静岡県沼津市の高尾山古墳の発掘による新しい発見が紹介されていて、卑弥呼とまったく同時代の東国最大の古墳であり、卑弥呼のライバルだった、狗奴国の男王、卑弥弓呼の古墳かもしれないと紹介している。卑弥呼の親の世代の岡山の楯築遺跡、卑弥呼の墓といわれる奈良の箸墓古墳、邪馬台国の大臣や将軍たちの墓といわれる纏向の五つの古墳と並んで、この東国最大の高尾山古墳の保存に著者は、地域の人々に道路建設の妨げになって不便だが日本国家誕生時の重要遺跡が沼津にあるのは誇りだと子供たちや後世の人々に語り伝える心意気を持ってほしいと、保存に並々ならぬ熱意を示している。幸い国土交通省も協力の意向を示しているそうだ。また、大正、昭和の2代の天皇の養育にあたった桑野鋭の和歌集も発見している。昭和天皇に絶大な影響を与えたのは乃木、鈴木、桑野の3人だ。昭和天皇は幼時に、小早川秀秋裏切りで関ヶ原合戦の勝敗が決したことを教えられ、「自分は二心あるものを嫌う」と発言していたそうである。桑野の歌集にそのような歌が詠まれているそうだ。昭和天皇の戦争観は西軍、柳川藩、立花家武士の後裔たる桑野によるものかもしれないと著者は興味深い見方をしている。第2章から3章は、「築山殿」をめぐる家康の人間像、荒木村重の妻、「だし殿」の処刑で信長が都雀の悪評を受けたことなど戦国女性の生き方をめぐる話である。確固たる信念をもって生き抜いた女性が多いことに感銘を受ける。 第4章では信長と同時刻生まれの男の話が面白い。男の極貧の現状を笑う信長に、男は「今日はお互いに違う人生だが、たった一日の違いだ。お互いに明日の運命はわからない」と言い返したそうだ。中国にも同じ挿話があると「朝野雑載」という古文書を紹介している。この話は「信長占い」という能狂言にされ、信長がその男を気に入り、遊びに来いと誘うと、男が信長の宿舎を聴き、本能寺と聞いて「そこだけは嫌じゃ」と顔色を変えて逃げ出し、信長が追いかけるという落ちが笑わせる。第5章には備中松山藩の山田方谷の「民あっての国」という感動的な話がある。安岡正篤が、近世の偉人として心酔している儒者で、全日空の大橋洋二会長が社内改革にあたって彼のこの精神を取り入れたそうだ。「総じて天下のことを制する者は、事の外に立って事の内に屈してはならない」という方谷の言葉を読んで、「組織の内の論理ではなく全般を見渡す見識をもって大局的な立場になって事をやる」と決意したそうである。幕末から昭和の敗戦まで日本は必死に国造りを行ってきた。薩長の藩政改革は、富国強兵に成功し、明治維新で国権を握り、たしかに西欧の植民地化から日本人を救った。しかし、国を強くするために民を犠牲にする傾向があったことは否めないだろう。国民のための国という視点が乏しかったのだ。薩摩藩は強かったが、領民の生活水準が他国に劣っていた実情は資料に明らかだ。国と民の関係では、薩長より、薩長に滅ぼされた越後長岡藩の河井継之助の方が、志が高かったかもしれない。彼は長崎で外国人から「民は国の基。吏は民の雇」との思想を学んだらしい。「役人は民の公僕」の意味だ。

 西郷は「小人は己の利ヲ考え、君子は民の利益を考える」とした。しかし「世上一般に10人に7,8人までは小人」という彼の言葉には上からの目線を感じるそうだ。この点、方谷は謙虚だった。他人を小人呼ばわりした弟子に「世に小人なし。一切衆生、みな愛すべし」戒めている。難しいことだ。「官僚化した組織は既存路線の踏襲しか考えない。物事をかき分けて見れば雑草が茂っていても中に真っすぐな道が見つかるものだ」とも言っているそうだが、至言だろう。 
「文は人也」言われるが、磯田さんという人間がよくわかる本でもあります。
                 (蘆屋の暇爺 松下 鎮)
             
           
                                  2018.11.13