書評 山水会資料(平成30年10月)

タイトル: 「戦争まで」 歴史を決めた交渉と日本の失敗 加藤 陽子 著
投稿者:  蘆屋の暇爺(松下 鎮)さん


 日本は、20世紀に世界から「どちらを選ぶか」と問われたことが三度ある。その時に最善の道を選択できなかったのは何故か。中学生を含む高校生たちへの6回の連続講義をまとめたものです。著者は、彼らを対象にしたのは、人生の岐路の最初の選択に直面しているからで、本来は、今の社会に生き、日々に切実な選択に直面している、すべての人々への講義だと述べています。
 論旨明快で21世紀を担う若者たちへの歴史のよき教訓になるでしょう。広く読まれて欲しい好著です。
                                             朝日出版社 2016年8月初版


 20世紀は戦争の時代でした。2度の世界大戦の記憶は戦争を体験した人々の脳裏から死ぬまで消えないでしょう。私も小学生の時代に旧満州国で敗戦を体験しました。天皇のラジオ放送に両親や兄弟と聞き入った夏の日の記憶は今でも鮮明に覚えています。「戦争って何だろう」子供心に想いました。「戦争とは敵対する相手国家の主権や社会契約に対する攻撃であり、国家権力の正統性原理たる憲法を攻撃目標にする」。ここでいう憲法とは具体的な憲法条文ではなく、社会を成立させている基本的秩序、憲法原理を意味しています。これは、古代からの諸説をまとめた、ルソーの戦争の定義です。利害得失など表面的な理由はあるでしょうが、人間は不退転の決意で守りぬかねばならない原則を巡って殺し合ってきたのではないでしょうか。ルソーが言ったのは、相手国の社会を成り立たせている基本的秩序つまり憲法にまでも手を突っ込んで、それを書き替えるのが戦争だということです。そう考えれば、1945年、連合国に無条件降伏した日本は社会の基本的秩序たる憲法原理を連合国の武力によって書き変えさせられたというべきでしょう。本書は日本は何故、負けたのか、そこに至るまでに、リットン報告書の採択をめぐる紛糾と国際連盟からの脱退、日、独、伊三国同盟の締結、ハル国務長官ー野村大使との最後の日米交渉など、日本に和平への様々な道が提示されていたのに、なぜ道の選択を誤ったのか、など詳細に分析しています。それぞれから、歴史の教訓をくみ取るべきでしょう。実は、日本に憲法原理を書き換える事態が生じたのは、今回が初めてでは無いのです。古代に遡ると、斉明天皇のときに、唐と新羅の連合軍の攻撃から百済を救援するため、日本は朝鮮半島に出兵し、白村江の戦(663年)で大敗したことが、あります。日本は唐の侵攻を恐れ、国内では沿岸の防備を強化し、大宝律令を発布して、新しい国家体制を整備し、対外的には32年ぶりに朝貢の遣唐使を派遣して唐との緊張関係の緩和をはかりました。その時に、正使の粟田真人は唐の則天武后に「今回、私が唐に来たのは、倭国の遣いとしてではなく、日本という新しい国の遣いとして、まいりました」と説明して則天武后の好感を得たそうです。そして国号変更を認められ、日本は7世紀後半から続いてきた唐との緊張関係の清算に成功したのでした。さらに、倭国は、このような新しい日本国に変わりましたということを内外に知らしめるために日本書紀を編纂したのです。天武天皇は国家の憲法原理を自発的に変えてそれを内外に鮮明に知らしめたのです。1945年の敗戦後に昭和天皇は白村江の戦いは、今の日本の状況と似ていると歴史の長い物差しを使って比較したそうです。1946年8月14日に昭和天皇は吉田茂、鈴木貫太郎、幣原喜重郎の新旧首相3人を茶話会に招いて、「戦争に負けて申し訳なかった。みんなに苦労をさせた。けれども、日本が負けたのは初めてではない。昔、663年白村江の戦いで朝鮮に兵をだし敗北した。そこで行なわれた改新が、日本の文化の発展への大きな転機となったのだ。これを考えれば、日本の進むべき道も、おのずからわかると思う」。と言われたそうです。7世紀の白村江の戦いと20世紀の太平洋戦争は時代が大きく離れていますが、状況は似ています。今の憲法は太平洋戦争に負けて書き換えられたのです。対外的に新生国家だと表明し、国内的には、新しい法令体系を整備するという、憲法の書き換えを国の内外に表明したのは、古代だけではなかったのです。

 もう一つ、ぜひ触れておきたいことは、太平洋戦争の傷跡は未だに残されているということです。太平洋戦争の戦没者320万人のうち240万人が海外で亡くなっていますが、 2013年時点で日本に帰国した遺骨は約127万柱に過ぎません。日本は徴兵した兵士の死に場所や死に方を遺族に教えられなかった国家です。私も伯父、弟を異国の地に墓もなく埋めたままです。絶対に忘れられません。
 終章の「講義の終わりに」で若い受講生の感想が、紹介されています。(原文のまま)
 「一つの出来事には。それに賛成する人、反対する人、行動を起こす人、迷う人など、多くの人が絡んでいて、それぞれの想いがあり、結果として歴史があるんだなって。これから生まれる歴史もきっと、人の想いによって、よくも悪くもなっていくんだと思います。だから、過去を学ぶことに、未来を創る希望を見いだせるのかなって」。
 この人のように、歴史を厚みのある立体として、四方八方からみて、日本の将来を考えてほしいものです。つまり歴史の教訓に学べということです。このペーパーを書き終えて、21世紀に生きる彼らに天武帝に倣って、昭和という激動の時代の[史書」を国家的事業として編纂し、遺してやっては如何かと、ふと思いました。20世紀に生きた昭和の日本人からの遺書として。  蘆屋の暇爺(松下 鎮)
             
           
                                  2018.11.8